あっぷの日記

あっぷの日記

“ごく普通の家庭=安心・安全とは限らない” 私自身の実体験をもとに、『親子にとって本当に大切なこと』をメインテーマにお送りするブログです☆

【はじめに】このブログと私(あっぷ)について

 

はじめまして。あっぷと申します。 

 

このページでは、

 について、紹介しています。

 


●このブログについて

ごく普通の家庭に育ったはずの私の身に生た家庭不和(私自身の実体験)をもとに、『親子にとって本当に大切なこと』をメインテーマにお送りするブログです。


●プロフィール

アラフォー2才男児のママ

大学卒業後美容業界を経てコールセンター勤務。
現在は子育て中

特技:髪を切ること・着付

好きなキャラクター:アンパンマン

尊敬する人:やなせたかし先生


●生いたち

父母妹私の4人家族。サラリーマンの父と美容師の母の長女として生まれました
ごく一般家庭といった家庭で,ごくごく普通に育ち、地方の公立小学校、中学校を卒業後、高校は進学校に入学
ここまでは順風満帆といった感じでした。
ですが大学入学以降アトピ一性皮膚炎(重症)を発症
全てが徐々に徐々に変わり始めました…


●全てのはじまり

大学2年頃…物心ついた時から、周りから綺麗だねと言われていた肌が、この頃始めた化粧の影響で肌荒れを生じました。
顔が一番ひどく、崩れたままの恐怖の中、信頼していた彼氏が去っていき、二重の悲しみに、人生で初めて眠れなくなりました。

それでも、そのころの私は、どこかで前向きで。
インターネットの普及が急速に進む中、薬の副作用が患者の中で徐々に叫ばれるようになっていた頃で、薬をやめればきっと治る。
今だけだ、もう少しの辛抱だと、絶望だけはしていなかったんです。
人目を気にしながらも何とか通学し、大学を無事卒業しました。


●美容師免許取得

大学卒業後、そのうち元のように治ると信じてやまなかった私は、美を失ったことで、美のお手伝いができる美容業界へ希望を感じ、母と同じ美容師への道に進むことを決めます。
薬をやめたことで、一時の顔面崩壊は免れてはいたものの、元のすがたではない顔のまま、美容専門学校へ入学。
クラスでビリ争いの手際の悪さではありましたが、どうしたことか試験前には仕上がる要領のよさで、国家試験を無事合格。
晴れて美容師になりました。


●ばあちゃんのお世話

前にも書いたようにこの時無限大の希望に満ちあふれていた私は、母のもとで、美容師デビューを果たし、薬剤のあれこれを駆使して、お客様のご要望に応えながら毎日勉強の日々。
しかしそんな日は順調には続きませんでした。
希望と裏腹、肌が荒れる、顔が荒れる‥美を売りにしている仕事だけあって、人前に出られない。
休業していったん様子をみることとなりました。

休んでいる間何をしていたかというと、長女らしい、よく言えば持ち前の面倒見のよさで、自分のことを気遣うより、ばあちゃんの体調のことを気遣うばかりで、母に変わって病院に連れてったり、何かと気弱なことを言うものだから、励ましたりばかりしていました。自分のことは後回し。
この時はそんな気力がまだありました。

●周りの人達の結婚

職業は違うものの周りのみんなも横一線に近い生活をしていた20代前半。
みんなと同じだという感覚でいたし、何も特別な焦りは感じていませんでした。
それが、20代後半にともなると、どんどん周りの人達が結婚していきました。
おめでとう、おめでとうを繰り返していくうちに、私の中のひとりぼっちの感覚が大きくなっていきました。私は、晴れてウエディングドレスを着れるんだろうか…
よくなってみたり、悪化したり、完全に治らないまま、時間が過ぎ…仕事にも女としての将来にも不安が積もっていきました。
綺麗を売る仕事の私がこんなんじゃだめだ‥‥
そう思いながらも、
美容界意外のアルバイト(家庭教師etc)もしながら、なんとか生計をたてて耐えていました。


●本当の辛さ

ここから初めてうつのような精神状態に追い込まれていくことになります。

『父親と母親に愛されていない‥?』と感じるようになっていきました。

この頃、疑いもしなかった両親の絶対的な愛が、私の中で不確かなものに急激に感じ始めたんです。

治る治ると信じていたものが、長引き、婚期を迎えて、本気で焦り始めていた頃

『なんで治さんの?…』

と…何げない母の言葉…


心配していないわけではないのは重々わかるけれど、あったかいものが全く伝わってきませんでした。

ずっとずっと頑張ってきたのを見ていないの?…

食事にも運動も、いいと言われるものは全て試して続けていました…
ただただ真面目に生きてきただけ。

なのに、追い打ちをかけて、一番解って寄り添ってほしい存在がわかってくれない‥

焦りと孤独の中で…
いつも前向きだった私が、初めて本気で助けて…

と口にするようになりました。

そんな私に両親は『そんな弱い子に産んだ覚えはない』と…


アトピーの辛さを特別に強調したいのではないのです。

人は本当に辛い局面に立たされた時、そのこと以上に辛いのは孤独を感じることなのではないかなと思うのです。


辛さから絶望に変わってしまうのです。
人によっては、恋人、奥さん、旦那さん、私のように両親から…
一番わかってほしい存在と分かちあえない悲しさ。

それが一番つらかった。

どんどん結婚どころではなくなっていきました。

 ●転機

ラッキーだったことは、私には相棒と呼べるほどの一つ年下の妹がいたことです。この存在は多きかったです。全てをわかって、応援し続けてくれました。
時には本音で弱音をはいてぶつかることもあったけれど、いつも心は一緒でした。

「迷惑ばかりかけてごめん‥」

私は妹に申し訳ない心でいっぱいでした。

そうすると妹はこう言いました。

「こんな時に本当は心から抱きしめて安心させてくれるのが親だと思う。うちの親おかしいよ。ねぇちゃんが謝ることじゃないよ」
と。

この時からでしょうか。
私は、自分が何一つ悪いことをしたわけじゃないのに、自分一人で抱え込んで、自分を責め過ぎていた・・これからは自分を一番に考えよう
と、少つずつ思考するようになりました。

●結婚・出産

どうしても子供を授かりたくて
38歳にして出会った方と、急ぐようにして結婚出産をしました

しかしながら、離婚。

離婚を絶対に美談になんてしたくないんです。
けれど、このことがあって、息子を授かったことで、私は完全に自分を取り戻しました。

 

●私がしたこと、できたこと

まずは、自分の身を守る。辛いなら辛いでいい。一生懸命頑張っても報われない事もある、時もある。
「大丈夫、自分は何も悪くない」
と自分が真っ先に認めました。


●わかったこと・伝えたいこと


両親は精一杯愛情を持って私を育ててくれたと思います。
好きなように習い事もさせてくれましたし、衣食住で困ったこともありません。
しかしながら、両親には大切なところで欠落している部分もあるんだなと。

それは両親の生いたち(※)から引き継がれてしまっているものだと思います。

それが私に影響していたことにも気づきました。

 

●子を育てる立場の少しでも多くの人に伝えたいメッセージ


家族(親子)において、子が本当に困った事(病気やいじめ等)に遭遇した時こそが親にとっての真価が問われる時です。

まあまぁ平凡な毎日では笑っていられても、何かあった時に笑いながら心を支えてあげられる親であってほしい。

 

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